故郷 海田町 聖火リレー

こんにちわ 働く車の
タイヤ屋さん
しらい まさし です No82

僕の生まれ育った町 海田町は 『日本人初のオリンピック金メダリスト』織田幹雄の故郷です!
一昨日・昨日と開催された聖火リレーで聖火が駆け抜ける予定でした♪

形は変わり トーチキスのセレモニーとして一昨日は広島市・昨日は福山で開催されました!
そのセレモニーに保育園のパパ友が聖火ランナーとして参加したのです!!
(全然言うてくれんけ~~ もっと早く教えて~や~~!!w)

でもね 彼そんな聖火ランナーに申し込むタイプでもないし 
大の人見知りで 人前が得意でなく 目立ちたくない 性格・・・。
そんな彼が どうして 一生に一回の一大イベントに申込んで めでたく選ばれたのかっ!?

こんな理由が。。。 感動したのでブログに残します。

※長文そのまま転載

志望動機

大会組織委員会に提出されたものを、そのまま掲載しています。

僕には妻と子供が2人います。子供達に僕が走る姿を見てもらい、何事にもチャレンジする事の大切さと人と人との繋がりのありがたさを教えてあげたいと思っています。僕は大の人見知りで人とコミュニケーションを取る事を苦手としてきました。現在ではそれも改善でき、人との繋がりの大切さを知る事ができました。小学生の娘も同じように恥ずかしがり屋で友達を作るのを苦手としています。一時期はその辛さから学校に行きたくないと泣いていました。オリンピックは聖火を人と人とが繋ぐ事で行う事ができるので、娘にも人との繋がりの大切さを知ってもらえると思います。僕が聖火ランナーを努める姿をみたら、娘はきっと自分も何かに挑戦してみたいという気持ちになり、その事を僕が後押し出来たらと考えています。 昨年に西日本豪雨災害が起こり、私の住む町も姿を一変させました。これまで見たことのない濁流や流される車、こんな事が身近に起きている事が信じられませんでした。そして次々と突きつけられる被害の大きさに胸を痛めていました。そんな中で災害ボランティアの方々の活動は被災者の方々に何にも変えがたい勇気を与えられたと思います。つらい状況に置かれながらも笑顔で感謝する姿は言葉に出来ません。私もお手伝いさせていただきましたが、人はみんなで支え合いながら生きているというのをとても感じましたし、少しでも力になりたいという気持ちと感謝の気持ちが重なった時に何か大切なものが生まれている気がします。復興はいろいろな人達の想いや希望を繋いで初めて成し遂げられるんだと思います。今回の東京オリンピックを成功させる為に聖火ランナーとしてみんなの希望を繋げたいです。私の姿を見て子供達にもみんなが繋がる事の大切さを教えたいです。 僕が住む町の海田町は日本人初のオリンピック金メダリストの出身地です。 この海田町をオリンピックの聖火ランナーが走るという事はとても意味がある事だと思います。 4月には金メダリストの記念館が完成しますし、この機会にぜひ全国、世界中の人達に金メダリストの功績と海田町の魅力を知っていただきたいと思います。海田町にもまだ豪雨災害の爪痕が残っており、それを見るたびにあの日が思い出されます。 辛い思いをされた方々の心を癒すのは本当に難しい事だと思いますが、自分達が住む町を聖火ランナーが走る事で少しでも勇気を与えられたら嬉しいです。これから海田町を元気に盛り上げていきたいです。(2019年応募当時のもの)


こんな熱い想いを内に秘めていたと思うと 感動して嬉しくて かんどうしてっっっ!!!

人間 前向きな想いは 口に出して発信するとか 表に出す事で何かしら 形として前進していくのだなぁ。
と改めて感じました♪
自分の事のようにうれしかった!!!
本来予定していた聖火リレーと 形は変わったけれど 一生に一度の思い出ができて良かったね♪

先ほど ちゃっかり トーチを見せてもらいに お邪魔してきました(^^)/






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